チームメイトのコメントが続々と

色々な新聞に、取手二のチームメイトの声が掲載されています。

◆木内監督
「全国優勝の恩人。彼がいたから全国優勝できた。毎年、優勝メンバーで新年会をやっているが、彼がいなくなるのが悔しいし、残念。今夏、甲子園に行けたら、あの夏のような戦い方ができたらいいなと思う」(読売新聞)

「見舞いお礼の電話が先日、あったばかり。声につやがあったので安心していた。大阪(甲子園)に行って、石田を思い出して戦いたい」(茨城新聞

「「体が強いのが印象的だった」と振り返る。約3週間前に電話をかけた時には、声に張りがあったと言い、「夏の大会が終わったら見舞いに行こうと思っていたのに……。教え子が自分より先に亡くなって悔しい」」(毎日新聞


◆中島彰一捕手
「今月お見舞いに行った時は寝たきりだったが、気丈に振る舞ってくれた。人が見ていない所でコツコツ努力を重ねていた。甲子園優勝は予想していなかったことなので、決まった時に喜びを爆発させたことを覚えている」(読売新聞)

「とにかく人一倍努力した。(打撃投手になっても)肩の痛み止めを飲みながら投げていた」(茨城新聞

「「まさか」と思った。今月上旬に横浜市内の入院先を見舞った際には、お互いの息子の野球話で盛り上がったばかりだった。「高校3年間あれだけ一緒に野球をしてきて、今、何もしてあげられなかったのが悔しい」」(朝日新聞

◆小菅勲さん
「ふだんはおっとりしているのに、マウンドでは強気。『怖がって打たれるくらいだったら』と、清原にも内角を攻めて肝心な場面では抑えていた」と日本中を沸かせた戦いを振り返りながら、「同級生のシンボルだったが、大きな柱がなくなった感じがする」(読売新聞)

「五月に見舞った時、顔色がすぐれてなかったので心配していた」(茨城新聞

◆佐々木力さん
「石田がいたから甲子園で勝てると思った。痛みを周りに言えなかったのではないか」(茨城新聞

「中学時代から何度も対戦してその実力を知っていた石田さんが取手二に進むと聞き、同じ高校を選んだ。内野を守りながら、毎試合多くの三振を奪う姿にほれぼれとし、「こいつがいれば甲子園に行ける。甲子園でも勝てる」と思って、3年間野球に打ち込めた」(朝日新聞

◆下田和彦さん
「PL学園に同点に追いつかれた9回裏の場面で、いったん右翼に下がっていた石田さんが、再びマウンドに駆け戻った際の笑顔が忘れられないという。「最後まで大好きな野球をやり、投げ続けられたことで彼は幸せだったと思う」 」(朝日新聞


私は、下田くんの大ファンでした。
彼のいうように、最後まで野球ができたことは石田くんの人生そのものをあらわしていたのかもしれません。


◆nikkansportのページに詳細記事があります。
http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20080716-384344.html

病状は急変だったのでしょうか。。。


◆84年国体(夏の大会のあとに行われた)のときの写真があります!(いい写真です)
http://www.nikkansports.com/baseball/news/photonews_nsInc_p-bb-tp0-20080716-384344.html
下田君はPLの帽子をかぶっていますねっ。
ほんと仲よさそうですね。

そうそう、PLと取手二校の決勝戦、彰ちゃんがバッターボックスに入る時名前をアナウンスされたのですが、桑田くんはマウンドで「でた!」とというような口の動きとともに、表情がやわらかくなり、ボールをごしごしと手でまわしていた姿が印象的でした。
取手二とPL学園は練習試合もしているし(選抜のあとわざわざ水戸まで来たんですよPL学園が)、お互いライバルとして意識していたのでしょうね。



それにしても茨城新聞の扱いが。
もっともっと地元紙ならではの観点で記事を作って欲しい。