褒められるという甘い罠、一旦停止することの重要さ

誰だって褒められるとうれしいものですよね。

でも、それって反面、ものすごいプレッシャーになることがあります。
(自分の経験からそう思うんです)


・100点取ってきて偉いね。

・1番になってすごいね。



こんな一言を何気に言っていませんか?


確かに、他の人からすればそうでしょう。
でも、本人にすると、はじめはうれしいけど、それがプレッシャーにかわるときがきます。
特にいつも100点、いつも1番の子は。
(普通に考えて、頑張らないで上記のようなことはできないんです。
 つまり、落ちるしかない現状なのにもっと頑張れといっているようなもの)


私はそういうわけで娘に、そろばんでも学校のテストでも点数のことはいいません。
(実は娘の学校のテスト、1度も見ていないんです。だから100点とっているという話は聞くけど、話題にもしない。1年生からそんな点数言ったって無意味だし)

点数は一時のものだから褒める意味はないと思っています。


それよりも、頑張って勉強(そろばん)しているんだねぇ、偉いねと言います。


でも、ばあちゃんやじいちゃんなどは点数や順位を褒めるみたいです。
(確かに私が成績上がったとき、そうでした。順位が下がるのが恐くて。若かったなぁ。苦しいから言わないでとはいえませんでしたね)

そして、金曜日。
5級にあがったそろばん。

塾に行かないと言い出しました。

私:「どうして?」

娘:「むずかしいからもう嫌なの。」

私:「むずかしいから何?何が嫌なの?」

娘:「むずかしくなって、時間内におわらないから点数がわるいの」

私:「そう、それで自分でどう考えたの?」

娘:「・・・・」

私:「時間内に終らないなら、どうしたらよいか考えてやってみないとね。
   ママは点数がいいとか悪いということは言ったことないよね?
   試験だって受けろとは言わないよね。
   点数をとれて合格したって、時間内におわらないなら上の級にあがら
   ないでいい。
   そろばんは点数をとることが目的じゃなく、どれだけ早く頭を働かせ
   手でそれができるかを練習するものなんだよ」

娘:「点数とれなくてもいいの」

私:「点数をとることを目的にしたらだめ。そのためにそろばんをならって
   いるんじゃないから。」

娘:「でも、点数が下がるのは嫌なの」

私:「じゃぁ、今、できないなら0点だよね。
   ママは0点とか点数が低いほうが楽しいよ。
   だって、明日、明後日とどんどん点数あがるでしょ。
   6級のときみたいに。
   下がることを考えるんじゃなくて、今からどうやってあがるかを考
   えるだよ。そのほうが楽しいでしょ」


ということで、今日は二人でそろばんの練習です。
6級のときにもやった、いかに時間を節約するかの工夫。
こうそろばんをおいたほうがやりやすいとか。

どうにか立ち直ったようです。


私は塾とか学校は行きたくなかったら行かなくてもいいという派です。

うちの親の世代からすれば過保護とか甘やかしすぎとか言われるでしょう。
(そろばんの先生も言っていたようです)

ゆっくり話しをして、考えをまとめる時間のほうがよほど大事だと思うんです。
塾だって、学校だって、親が行け!と言えば大人しくいくでしょう。
そのうち、嫌だったことも忘れるかもしれません。
それでいいのでしょうか?

それって、問題を先送りしているだけ。

とにかく頑張れ頑張れとむムチをうっているようなもの。
どこかに病気があるかもしれないのに。

そうやって大人になったとき一人で悩んで、うつ病とかになってしまうので
はと思います。
(だから30代、40代のうつ病が多いのかも。うちの会社ですが)


誰かと時間をかけて話しあうことの重要さ。
そのためには、時間をかける、つまり、一旦休むことが重要だと思うんです。


日本人は休むことを「悪」と考える傾向が強いんじゃないでしょうか?


学校に行って、勉強ができたって、それで生きていけるとは限りません。

学歴があって効果があるのは、就職のときだけ。
会社の中では学歴は関係なく、本人自身が見極められます。
会社(や社会)では、必ず壁にぶつかります。


そのとき、何より必要なのは、自分をコントロールする力とプラス思考。
これは、日本の学校では教えてくれないし、学べないと思います。
自分で自分を見つめて、誰かにアドバイスをもらって培うものでしょう。


私はこれまでの人生で学んだ上記のことを娘に伝えて行きたいと思います。


ちなみに、娘は「そろばんの先生よりママのほうが厳しい」と言っています。


そう、私は休ませてあげるけど、さぼらせてはあげませんから。(^^;;