最後のとき

叔父さんの告別式が終わりました。

やっぱり、まだ信じられない気持ちがふとよぎります。

夢だったらどんなにいいだろう。


私は叔父の死に目に会えませんでした。

今日、死に目に会ったいとこの話を聞きました。

最後に食べたいといったものを口にすることができたようでした。

それに、奥さんや娘、甥、兄妹などに囲まれて、すぅっと5分もしないうちに亡くなったそうです。

とても安らかな顔をしていました。


最後のときに、『お迎えが来る』ということをよく聞きます。

私の"はとこ"のおじいちゃんが亡くなったとき、『お迎えがきているから窓をあけてくれ』と言ったそうで、"はとこ"が窓をあけた瞬間息を引き取ったそうです。

今回の叔父にもお迎えが来たそうです。

『じいちゃんが・・』といったそうです。

じいちゃん=叔父にとって父親(私たちにとってのじいちゃん)。

叔父はお婿にでた人なので、自分の生家に対しては強い思いがあったのも事実。

だから、体を壊しても、うちのそばにある畑によく足を運んでいました。

入院する2日前にも、じいちゃんちに来ていて。。。それが最後。


じいちゃんがお迎えに来たから、安心してついていったのでしょうね。


このお迎えという事象、結構あるそうです。

アメリカでは宗教ではなく精神科の先生が研究をしているそうで、かなりの割合でお迎えを経験しているそうです。

日本の終末医療に携わるお医者様の書いたものがあります。
http://www.f7.dion.ne.jp/~funacli/incyou/file/2005/050910.html

よくまとまっているとおもいます。
興味のある方は一読してみるとよいと思います。


叔父が救急車で運ばれる2日ぐらい前に、我が家で2階を歩く音、家の中で色々な音が聞こえたり、人の気配を感じたりしていました(私だけですが)。
http://blogs.yahoo.co.jp/hituji_family/27262380.html

お迎えは、死の直前だけではなく1週間ぐらい前から来ているという話もあるので、
きっとじいちゃんが私のところに様子を見に来てくれたんだなぁと今からすれば考えられます。
(うちはじいちゃんばあちゃんの住んでいた土地に建てたので)

それに、救急車で運ばれたのに、一命をとりとめたこと。
その後、家族、兄妹とこれからについて話す時間を持てたのも、お迎えに来たじいちゃんが時間をくれたのかもしれません。

入院中は、うちの母と冗談をいったり、残される娘たちのことを頼んだり、兄妹水入らずの時間をすごせたみたいで、きっと叔父にとっては昔にもどったような10日間だったことでしょう。


残されたものは寂しいけど、叔父の魂が天国に行ってくれ、じいちゃんばあちゃんと一緒にいると思えばよかったねと素直に言える気がします。


***

偶然にしてはすごいこと。
それは、昨日のお通夜、今日の告別式、一度も傘をさすことがなかったのです。
式の前、最中は土砂降り。
本当に偶然?と思うほどのタイミングで雨が上がっては止み、上がっては止み。
数分単位でのことでした。
とても繊細な叔父だったので、気を使ってくれたのでしょうね。