絶対はありえない

講師3人、危険予想せず=「雪山歩かせたかった」―経験による慢心か・栃木雪崩
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170330-00000005-jij-soci


目を疑ったね。

ニュースの一報から、同じ高校生をもつ親として、心が痛く切ない気持ちに
なっていたけど、

「猪瀬教諭は麓の旅館に設置した本部に詰めており、詳しい状況は分からなかったが、現場にいた教諭2人の意見を信頼し、予定変更を決定。2人とも登山歴25年以上のベテランだが、雪崩の危険には触れず、自身も「絶対安全だと思っていた」と振り返った。 」(上記URLより引用)


「絶対安全」という言葉をみたとたん、これは事件だなとおもった。

車で通勤するパパを見送るときだって、娘を学校に見送るときだって、
心のどこかで無事に帰ってきてねと思っている。

生きている中で、「絶対安全」ということはない。

原発だって爆発したでしょ。

それを、この教諭は言ってしまった。
教諭たる資格はない人だなとおもった。
記事には慢心とタイトルがついているが、そのとおりだろう。

特に人間は自分が好きなものには甘くなる。
素人で山が苦手な人ならリスクを最大限に考えるだろう。
好きなものに対しては、リスクの判断が甘くなる。
だからこそ、引率の先生はかなりオーバー目にリスクを見積もらないといけない
のではないかとおもう。

これは、組み体操しかり。
今まで大丈夫だから大丈夫なんて判断なら、先生辞めたほうがいい。

「絶対安全だと思っていた」、失言だわね。

あの(山の)状況で、この発言なら、私が保護者だったら、訴えるね。