多様性と薄情

TOKIOの山口くん、辞めてよかったと思います。

過去にも警察沙汰をおこしているわけで、社会人としてきちんと責任をとるということが必要だったと思います。

本来なら、わかった時点で事務所が解雇すべきだった。
最近、ジャニーズ事務所は甘すぎると思う。
昔は血も涙もないような冷たい感じだったのに

まずは、
・肝臓を治療
・生活の立て直し
を10年ぐらいかけてやるしかないだろうなとおもいます。
中途半端に活動停止とかで間に合う期間じゃないと思っていました。

表にはもうでてこれないとおもうけど、きっと助けてくれる人はいるとおもうので、悪い人たちのほうにいかず、人を見極めて堅実な人生の後半を歩んで欲しいなぁとおもいます。(悪い仲間のほうにいくのなら、それだけの人間だったということだ)


話は変わりますが、

インターネットが普及し、今までは情報を取得するのがメインだったのが、
最近は、誰でもどこでも情報を発信することが普通になってきて、
インターネットの功罪というか。

多様性と薄情というキーワードが最近頭の中にあります。

これまでは、多数派の意見のみが通ってきた社会だった。
良くも悪くも日本の社会は目立たないこと、みんなと同じことが求められてきた。
(少数派の人はいきにくい社会だったとおもわれる)

世界は多様性を認めようという流れ。
多様性を認めることは、より多くの人が幸せになること。
少数派の人たちの意見に耳を傾けること。

その一方で、国民の大多数が同じような経済レベルで価値観できた日本には助け合いという「情」があったとおもう。
人間は自分の身におこったことしか実際は理解できないけど、それでも同じような境遇の人に対しては「同情」をして自分のことのように寄り添ってきたとおもう。
大多数の中にいれば、幸せな社会生活を送れたんだろうと。

格差が広がり価値観が多様化し、インターネットを通じて声をあげる手段がでてきた今、日本は急速に薄情な社会に向かっているのではないかと思う。

この流れが自然のことなのか、
薄情ではなく、自己責任が常になってきているだけなのか、

2020年あたり(平成が終わるの)を境目に、世代交代もすすみ、なんだろうか、ほんと、昭和の社会観はなくなるような気がする今日この頃なのだ。

本来は超高齢化社会には昭和的な社会のほうが向いていたんだろうな。