慌しかった9月も終わりですね。
10月か。
いまだに肩が痛くて、事故にあったのが去年の10月6日。
去年もね、忙しかったよね。
ちょうど今頃だったかな、高校から推薦の話をもらったのは。
返事をするのが、ほんと事故にあったのと重なっていたからあまりよく考えられなかった。
本人の意向が大事なのは大事だけど、そこは高校生の知識での判断だからね、親がね、大人の意見をね、伝えないとね。
ちゃんと考えたつもりだったけど、やっぱり即決できなかったよね。
で、考えているうちに事故でバタバタしちゃってね。
推薦だからって必ず受かるわけでもないから(倍率も5倍以上あったし)、チャンスが1回増えただけと思っていたからね。
受からんだろうと(女子差別に、地域差別でね)。
結果、受かってしまって今に至るわけだけど。
このブログを書いているということは、そう、後悔だよね。
止めればよかったという。
きっとうちの娘はね、奨学金を自分でもらってまで行くような積極的さはない。
親が強くだめ(お金をださない)といえばあきらめて実力で勝負しただろう。
この時期だったら、まだ嵐の活動休止もでていなかったしね。
やっぱりね、日帰りで行き来できるところの大学に行ってほしかったなとおもう。
親としては医学部にこだわりはなかったから、普通の大学の理系学部でよかった。
編入とかってできるのかな?(とか思っちゃう)
どうしても医者になりたいというのであれば仕方ないけど、娘からそういう言葉は聞いたことがないし、嵐の活動休止でね、医学部受験はあきらめた(浪人したくないから)ぐらいだし、ほかの学部でもよかったんじゃないのと。
そうなれば関東の大学、選びたい放題だったはず。
それでよかったんじゃないかなと。
やっぱりね、じじばばが重病だからね、遠いところじゃなく、近いところでいつでも帰ってこれるところにいて欲しかったなとおもう。
(医学部は来年から本当に大変なカリキュラムになるから。。。帰ってこれない)
1年前に戻れるなら・・・・推薦は反対したとおもう。